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横浜カウンセリングセンターの思い出

ひところ、毎夏、横浜カウンセリングセンターの研修に通っていた。

大学の時のゼミの教授が

国大に移ったからと誘ってくれたのがきっかけだった。

 

桜木町で降りて

音楽通りを歩いて

パン屋にシベリア売ってるなとか思いながら

汗をかきかき

成田山別院の石段をのぼって

いせやま会館にたどりつく。

 

3日間の研修。横浜の人がほとんどで

教員もいたけど一般の人も多かった。

参加者に心理職やカウンセラーがどのくらいいたか。

あんまり記憶にないのが今となっては不思議だ。

 

初日の午前に全体会がある。

それから分科会に分かれる。

山県、古屋、粟飯原先生の誰かのグループに入るのだ。

私はなぜ粟飯原先生のグループを選んだのだったかな。

決め手は何だったのかな。

どのグループにも女性の助手みたいな人がいた。

あれは自然発生的にできたのかそうじゃないのか。

 

粟飯原先生は理科の先生でY校の教頭先生だという話だった。

大柄で太い声がしっかりしていた。

 

はじめてのとき、

分科会に分かれて、

何かが始まるのかと思ったが、

実際には40分みんな無言だった。

空調の音と蝉時雨を聞いていた。

 

一度誰かが「何かやりませんか」といった気がするのだけど

誰かの発言でまたそれがお流れになったんじゃなかったかな。

 

あとで粟飯原先生が

「あのグループならすぐ始められると思ったけど」

と言っていた。

それで私は、エンカウンターって、何かやることが決まっていて

それを扱うんじゃないんだ、ということと

グループによってすぐ何かしたりしなかったりするんだ、

と思って 驚いた。

 

ゲームや授業をすることがあった。

もう何をやったか細かくは忘れてしまったけど

算数の面積の学習になる陣取りゲームや

無言でパーツを渡しあって図形を完成させるゲームが楽しかった。

相手の欲しいものを察するのが下手だったな。

 

あ、えと、念のため書いておくと

教材はきっかけで

そのあとのシェアがだいじなのだった。

 

粟飯原先生は詩の授業が本当にうまかった。

黙ってプリントを渡してくれて

「読んで」というのだ。

参加者でぐるっと音読する。

それから粟飯原先生がいくつか質問する。

質問のたびに「おおっ」という感じで理解が深まる。

そしてまた最後に読むと、ほんとうに音読が変わるのである。

自分から出てくる声音が

「私はこの詩をこのように理解したのだな」とわからせてくれるのである。

 

それは面白い体験だった。

今の私なら粟飯原先生に手紙を書いて

「ああいうのを自分で身につけたいので教えてください」というのだろう。

 

自分が深いところから開かれていく感じがあった。

 

もちろん会話だけで時間を進めていくこともあった。

 

今振り返ってみると

粟飯原先生は構成的なエンカウンターがほんとに上手だったんじゃないかな。

 

 

粟飯原先生は今の私くらいの年齢だったと思う。

私はそのときいくつだったろう。

35歳前後だったかな、今手がかりを思い出した。

一生懸命同僚を誘ったんだった。

 

何年通ったかな。案外短くて、3年くらいだったかも。

 

終わりのほうで粟飯原先生はよく私を怒らせようとしていたかな。

意識してかな、どうかな。

そのメッセージはそのときは受け取れなかったけど、

先生 今ならわかります。

 

ああした場が作りたいし、

ああいう交流がしたいなとずっと思っていて

少しできてきたような全然まだまだなような。

 

 

 

 


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